THE・いなだいブログ 

日々考えたことをシンプルに記録していきます。

断酒日記(39日目)

 お酒をやめるということは、楽しみが減ったのではなく、依存しているものが一つ減ったということだ

 

 今日は自由とは何かについて考えたいと思います。

 飲酒を習慣的に行っている人にとって、お酒をやめるということは、人生の中での「楽しみ」「娯楽」が一つ減る、奪われる、喪失感につながる行為だと思います。1日の終わりの楽しみ、1週間頑張ったご褒美、キャンプやバーベキューをやるときの非日常的な楽しみを与えてくれるもの。心地よい「快」を与えてくれると思っているものを、自ら手放すのは理不尽な、不合理ではないでしょうか。

 昨年1年間、僕はほぼ休むことなくお酒を飲んでいたと思います。在宅勤務が通常になり、感染症の蔓延防止の観点から、宴会自体の数が減り、あったとしても参加することもあまりないという状態なため、飲酒する場面は大抵、自宅での晩酌です。自宅での飲酒をのため、泥酔・酩酊状態になるということはなく、風呂上がりのビールを1杯、その後、焼酎の水割りを2−3杯飲んで、ご飯で締めるという習慣になっていたので、飲酒のスタイルについては、許容範囲だと自ら納得させていました。
 ただ、休肝日を設けた翌朝の疲労回復具合は以前からよく認識しており、たまには晩酌をしない日を設けること体調管理の観点ならも必要だと認識していたのも確かです。それでも、昨年1年間は休肝日の実行には至りませんでした。必要だと思っているのに、実行できない。その楽しみから逃れられないという状態は、単純に考えて「依存」です。

 自分の生活、パターンをよくよく考えてみて、やはり僕にとってお酒は飲む頻度、量共にコントロールできる嗜好品ではないのだという結論に至り、飲酒習慣を手放す決意をしました。

 やめるにあたって考えたことは、楽しみを奪われる、我慢しないといけないのではなく、自分をコントロールしているものから逃れられる、自由になるのだという認識を強く持ったことです。

 飲酒から離れても、生活上何の支障も出ていません。飲酒行為自体は、純粋に自分の意志で選択できる娯楽の一つです。今日は控えたい、たまには控えないとと思っているのにも関わらず、実行に移せないのは、依存状態にあるということだと思います。

 社会人になり、親の元を出て、一人暮らしを始めた時は「自由」を手にした清々しさでいっぱいでした。
 今も、長年依存していたものから離れらたことで清々しさでいっぱいです。再び手に入れた「自由」を胸に、今後の人生を楽しんでいきたいと思います。

 

 今日はこの辺りで。