THE・いなだいブログ 

日々考えたことをシンプルに記録していきます。

禁酒日記(23日目)

 なぜ人は酒を飲むのか

今日は人が酒を飲む理由について考えてみたいと思います。
 まずは、高揚感を得たいという理由が挙げられると思います。毎日家と会社の往復、仕事の内容も大してエキサイティングではなく、理解のない上司、働いてくれない部下、家に帰って来れば、子供の成績や部活の結果、妻との諍い。。などなど。
 週末までの毎日を過ごす上で、1日の楽しみが風呂上がりのビール、缶チューハイ。そう思う人が多いのではないでしょうか。僕も間違いなくその内の1人でした。つまり、地味な毎日でも簡易に喜びをもたらせてくれる物質としての側面。金額的にも大した費用はかかりません。
 次に思い浮かぶのは、リラックスする術としての飲酒ですね。1日緊張して過ごした後のお酒。ホット一息つく瞬間。ほろ酔いの時の充足感は他の何事にも変え難い。音楽や焚き火、好きな映像を見ながら飲む酒は最高です。
 最後は、忘れたい何か(悩み、悲しみ)から逃避するため。酩酊するほど飲めば、その瞬間、間違いなく現実から逃れられます。正常な判断もできないですしね。人生には無数のイベントとがあるので、そういったきっかけには不自由しないでしょう。

 改めて理由を挙げてみると、どれもリーズナブルな理由だと思います。ただ、アルコールから遠ざかってみて改めて考えてみると、このどれ一つとってもアルコールがその効果を与えてくれるのは、最初の1、2杯目、よくて3杯目位までではないでしょうか。
 僕の場合、友人や同僚と飲んでいても、場が和んでいくにつれて、惰性で杯を重ねて、最終的には自分が何杯飲んだか覚えていない状態になることが大半でした。2軒目、3軒目だと、もはや味すら関係なく、かつ喉が乾いている訳でもなく(正確にはアルコールのせいで脱水症状にはなっているのでしょうが)、ただ店に入ったから酒を頼み、グラスが空いたから次を頼むという思考停止状態になってしまいます。

 以前読んだWebのメディア記事に出てた元アルコール中毒者の方によると、酒飲みは、飲んで酔った気持ちを覚ましたくないから、アルコール摂取を重ねる(おかわりする)のだと分析されていました。言い得て妙というか、なるほどなとその時は思いました。今の気持ちの良い状態をキープしたいから、飲み続ける。どこまで行っても満足することがないので、最終的には、時間の制限(明日も仕事がある、終電が近い)で止めるしかなく、その制限すらない時はついつい飲み過ぎてしまう。それが飲酒行為の実態だと思います。

 つまり、酒を適度に飲むということは、その性質から非常に困難で、条件さえ許せば、過剰摂取となってしまう物質ということです。これって薬物そのものですよね。

 アルコールの効能・薬理を求めて飲むが、その効能は放っておくと切れてしまう。だから、延々と飲み続ける。そして、翌朝、体調不良、記憶喪失、その他諸々のデメリットを受け止めて、激しく後悔する。

 最初の1.2杯で我慢できれば、それに越したことはないでしょうが、お酒が好きだと言うこと自体が、1.2杯でやめられないというジレンマを抱えているということですね。

 結局、ずるずると滑り落ちる、ウツボカズラの蜜に寄り付かないのが最善策だと気づきました。もうちょっというと、前述のお酒を飲む理由どれもが、お酒なしできちんと感じることはできます。

 高揚感は、無理にその状態になる必要などなく、日々の小さな幸せを感じれば良い。

 リラックス感は、むしろアルコールという刺激物が体内に入っていない方が、ゆっくりと過ごせます。食後コーヒーでも飲めば、食事にも満足できます。

 逃避手段としては、そもそも逃避しても現実は何も変わりません。むしろ、素面でしっかり睡眠をとって起床することで、気力が充実し、課題に取り組む前向きな気持ちになることができます。

 結論としては、アルコールで得られる効能・メリットは、何らかの手段(メディア・広告・大人たちの教え)で植え付けられた後天的な知識・感覚・幻想だということ。よって、取り除いたところで、実は大きな弊害は全くないということだと思います。

 では、今日はこんなところで。